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国史跡 郡山宿本陣をご存じですか?

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国史跡 郡山宿本陣をご存じですか?

カテゴリ:エステートSHINの森本です!
皆様

お疲れ様です

本日は国史跡 郡山宿本陣をご紹介したいと思います!


国指定史跡 郡山宿本陣:江戸時代に大名が参勤交代の際に利用していた宿場

郡山宿本陣は、江戸時代に大名が参勤交代の際に利用していました。

また五色の花を咲かせる椿が御成門の側にあった事から、「椿の本陣」として親しまれています。

郡山宿本陣には、「忠臣蔵」の元となった、浅野内匠頭が江戸城刃傷事件をおこす前年の、元禄13年(1700年)5月に宿泊した記録や、これに関連して浅野家断絶申し渡しのため赤穂へ赴いた脇坂淡路守も宿泊したという記録が残されています。

西国街道は、京都と西国を結ぶ重要な道であり、京都から西宮までの街道沿いには、山崎・芥川・郡山・瀬川・昆陽の5つの宿場がありました。

郡山宿は、そのまん中にある宿駅として、重要な役割を果たしてきました。

本陣の規模としましては、本陣および脇本陣が設置され、火災等での緊急に立ち退きが必要になった時のために現在の箕面市小野原および、茨木市十日市の東西に非常立ち退き所を定めていたそうです。

常時人夫が30人、馬36匹が用意されており、それでも不足がでた場合には、付近の村落より集められていたとの事。

本陣の当主は代々善右衛門と称し一橋家より帯刀が許されていたそうです。

ちなみに明治天皇も宿泊されたことがあるそうで、1867年7月15日(旧暦)に皇太子時代の明治天皇が長州御微行の時、隣宿の芥川宿に宿泊予定だったのが、山崎で合戦がおこり芥川宿を立退き宿に滞在されたそうです。

茨木にはまだまだ史跡がたくさんあります!

歴史ある茨木市を散策してみて下さい!

私が生まれた街、茨木市

愛ラブ茨木

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